モノクロからカラー

裕翔くんとあれこれ

担当の定義について考えた

 

 

 

ジャニーズヲタクには「担当」という概念がある。

 

 

一般的にいえば「○○担=○○のファン」

 ちなみに私は、Hey!Say!JUMP中島裕翔くんを担当しています。中島裕翔くんのファンです。

 

十人十色、ファンの数だけ意味がある言葉。

 

結論として、それぞれ違うのが当たり前だから誰にも規制されず楽しいヲタクライフを送るのが正解だというのは明白である。

アイドルが仕事に対するスタンスがそれぞれ違うように、ヲタクだってアイドルに対する向き合い方はそれぞれ違う。それがいいとか悪いとかではなく、語りたくなるのがヲタクの性だというのもまた事実。

 

好きの形はなんだっていいの、ジャニヲタと「担当論」を語るのが大好き。

 

 

 

 

私にとって担当とは「お金」「時間」「トキメキの拘束感」で表現できる。

 

 

①お金

ズバリ1番お金をかけたいと思う人。

結局この感覚は大きい。

 

収入がある程度固定されていると、一生懸命労働で得た収入を自由に分配するのだから収入に占める割合が大きければ大きいほど気持ちは高まっていくものだ。この人にお金をかけたい!エイヤ!という始めの勢いはあるものの、それからの気持ちの高まりは気持ちが先行するのではなく、お金をかけることで思い入れが強くなっていく気がする。

 

生粋のジャニヲタである私は少クラを毎回録画しリピートするくらいにはジャニーズJr.が好きで最近も

「じゅったん、慎ちゃんかっこいい〜海ちゃんかわいい〜〜」(軽率)

など沸くけどお金は1円たりとも使う気は無い。それなら少しでも多く新しい裕翔くんを見たいという執着心が担当です。ヲタクが思いを形で示すのはお金しかないと思ってるから私は掛け持ちは物理的に出来ないです。

 

 

②時間

ライブに行く、舞台挨拶に行く、番組協力に行く、雑誌を読む、テレビを見る、情報収取する、良さを少し表現してみる・・・・

担当と呼ばれる人に私の時間をかけたいと思ってしまう。

 1つも見逃したくないし、その人がいい時も悪い時も見届けたいと思う人。

未来を見届けたいと思う人。その為なら惜しみなく時間をかけたいし苦じゃない。

アイドルは現場が全てだと思っているので、時間をかけて会いに行きたい、行ける人。

 

Twitterでも言いましたが、アイドルは上質なドキュメンタリーだと思ってるから裕翔くんのドキュメンタリーを見逃したくないし取りこぼしたくない。

フットワークの原動力は「好きだから知りたい」ただそれだけですが、好奇心、探求心を刺激し続けてくれるというのも好きになる基準。

 

 

③トキメキの拘束感

急に抽象的な言葉で表すけれど、実は「担当」を語る上で大切なキーワード。

「お金」と「時間」だけなら、例えば同じ割合が複数いても成り立つ理論になるけど、個人的に拘束感が担当には必要不可欠だと思うんです。

ずっと何回も「ときめく」ことが出来る人、「恋」に似た感情を保ち続けられる人かどうか。逆に言えば、ずっとときめきを与えてくれるポジションに置いておける人。

1人を選んで、お金、時間の全部をかけなければいけないというソフト拘束感が非常に心地よい。束縛のようなものを勝手に自分で意識づけることでよりドキドキしたヲタクのモチベーションを保つことが出来る。

 

 

 

以上3つの要素を個人的に満たしてくれるアイドルはなかなかいないので今裕翔くんのファンでいられるのはとても奇跡のようなもの。

常に1人に全力投球というこの応援スタンスは時々疲れてしまうので、色んな人に心奪われるけどお金は1人に握られてるというバランスが私のアイドルファン理想形。

 

「1人に絞って自分の行動を自ら規制する」行為はよく考えると疑似恋愛の真似事を勝手に作り出して楽しんでいるのかなという気が最近するんですよね。

10代の頃は特にそういう気持ちが強かったように思う。好きすぎたな~~

 

大人になるにつれてだんだんその気持ちは薄れていくし、この「恋」に似た気持ちが消えてしまったらジャニヲタで現場現役やってる意味は確実に見いだせないと思う。

 

 

 

 なぜいきなり「担当」についてつらつらかいてるかと言うと最近自分がアイドルとどう向き合っていけばいいか分からないからです。

裕翔くんを見るとやっぱり一番元気になるし大好きだけど、予定調和が否めなくてライブに行っても前みたいに気持ちが晴れない。舞台挨拶は泣ける程高まったのだけど…

 

 

 

気持ちが晴れるようにひとつひとつ行動していこう。 

裕翔くんは私のポジティブな因子にしていこう。